おばまの歴史

若狭小浜は、日本海側、列島の中央に位置し、大陸や朝鮮半島、そして京の都と深くつながる文化都市でした。現在にも130もの寺院を残し、数多くの祭礼や芸能を伝承している小浜市は、平成27年4月14日、文化庁が創設した日本遺産第1号として「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 ~御食国(みけつくに)若狭と鯖街道~」の認定を受けました。(小浜市・若狭町の2市町で認定。)

 

奈良時代以前から、若狭湾に面し、海の幸に恵まれた若狭一帯は、天皇家の食料である「御贄(みにえ)」を送る「御食国」として、都の食文化(≒和食文化)を支えてきました。

平安時代に入ると海上交通の要地となり、海を隔てて向き合う大陸や朝鮮半島をはじめ、日本各地から多くの文化や品物、人が流入してきました。

近年、“鯖街道”(鯖街道資料館)と呼ばれる幾筋もの道によって都に新鮮な海産物が送られ、京都からは最新の文化が伝わり、若狭小浜に繁栄をもたらしました。

 

「文化財の宝庫」(小浜の文化財一覧)とも呼ばれる小浜市を含む都につながる街道沿いには、平安時代の仏像や鎌倉時代に創建された寺院が数多く残っています。平安貴族が深く帰依した天台宗、真言宗という密教的な信仰との関係を示している「十一面観音像」という仏像が数多く残されていることからも、都との深いつながりがうかがえます。 また、小浜にある明通寺の伽藍は鎌倉時代に建てられたもので、本堂と三重塔は国宝に指定されています。

 

室町時代初期の1408年、将軍足利義満への贈り物として象やダチョウなど、当時珍しい動物を積んだ“南蛮船”が交易基地として発展を続けていた小浜に入港しましており初めて「象」が日本に上陸したまちとなりました。

 

戦国時代から江戸時代にかけ、小浜の領主はたびたび変わりましたが、徳川三代将軍家光の時代、幕府老中酒井忠勝が小浜藩主となり以来幕末まで酒井家のもと、城下町小浜は若狭中心都市として栄えました。当時の廣峰神社の祭礼“小浜祇園大祭”からも小浜の繁栄状況がうかがえます。

 

大陸や都との交流でもたらされた寺院や神社・仏像・お祭りなどの伝統行事、往来の歴史のなかで育まれた独自の食文化など、すばらしく多彩で密度の濃い往来文化遺産群が今も大切に伝えられている”御食国 若狭おばま”は、1500年ものさまざまな歴史と文化に彩られ、今なお時を超えて人々を魅了してやみません。

 

「御食国」(みけつくに)とは、古来、朝廷に「御贄(みにえ)」(「御食」:天皇の御食料を指す)を納めた国のことです。 万葉集においては、伊勢・志摩・淡路などが御食国として詠われるとともに、若狭については、平安時代に編集された「延喜式」に、天皇の御食料である「御贄(みにえ)」を納める国として、志摩なとどと共に記されています。

また、奈良時代の平城京跡から出土した木簡の中に「御贄(みにえ)」を送る際につけた荷札が発見されていることなどからも、御食国であったことがうかがい知られます。

若狭は、古くから塩や海産物等を納める「御食国」として、歴史的に重要な役割を果たしてきました。


御食国としての若狭小浜の名を一躍有名にしたのは、若狭と京を結ぶいくつかの若狭街道、通称“鯖街道”(鯖街道資料館)である。 鯖街道のルーツは先にも紹介したように遠く奈良時代にさかのぼる。 若狭小浜で獲れた鯖が若狭街道に沿って朽木谷を抜け、花折峠を越え、大原の三千院あたりから京に入る道に運ばれた記録が残っている。 その道が、小浜から出発する鯖街道であった。

現在の距離にして約80キロぐらいだろうか。 今なら車で1時間余りだが、当時は人が背負いかごを担いで深い山間の道を歩いたのだからさぞかし大変だったに違いない。 一説には、ちょうどその距離を、小浜の海辺で獲れた鯖にひと塩し、夜を徹して京都に運ぶと着いたころには最も良い味になることから、鯖街道と名づけられたともいわれている。 鯖街道は、若狭から京都へ魚介類を運ぶ生活の道であった。 そして、この道を通って、鯖だけでなく若狭小浜で水揚げされた数々の海の幸が京都に運ばれたことは想像に難くない。 鯖街道は、今日の食文化に繋がる通り道だったのである。

 


歴史をたどると、海の幸の拠点だった若狭小浜の姿が改めてクローズアップされるのだが、そもそも小浜がそうなり得たのは、暖流と寒流が交差する若狭湾が、昔から魚介類の宝庫とされてきたからだ。

朝、市場に水揚げされる魚介類は日本海の荒波にたっぷりもまれ、活きのいいまま食卓に並べられる。豊饒な海がもたらす新鮮な恵みは、小浜の魅力を一層ひきたたせる味覚の代表であることは間違いない。 そんな小浜の特産物を少しばかり旅してみよう。

小浜では、魚は昔から生魚か、塩魚の中間である四十物(あいもの)(塩干物)で取引されてきた。 四十物は、若狭湾だけでなく、北海道や隠岐、丹後からも運ばれ、中でも若狭甘鯛や若狭カレイは、江戸時代の初めから若狭の特産物としてその名が知られるようになったという。 おそらく、鯖街道を通って京都にも運ばれたであろう。

京都の祭りには今でも「鯖ずし」が欠かせない。 江戸時代の初めといえば、ゆうに300年以上の歴史がある。 若狭カレイは今でも皇室に献上されており、昔も今も小浜の代表的な海産物だ。

もちろん、若狭ガレイだけではない。 地元で水揚げされたばかりのレンコダイを使った小鯛のささ漬けも、全国的に知られる小浜の特産品だ。 そしてもう一つ、若狭湾といえば、冬の味覚の代名詞、若狭フグも欠かせない。 てっさ、てっちり、ひれ酒、ふぐぞうすいなどさまざまな味わい方が楽しめる。

食を知りつくした人は、シーズンを迎えるとその土地の旬の味覚を必ず訪ねるものだという。 たとえば、冬のズワイガニや若狭カキといった海産物もそのひとつ。 日本海の暖流と寒流にもまれ、身が引き締まった魚介類をたっぷり味わえるのも小浜ならではの魅力だ。


自然の恵みに育まれた小浜の人々は、一方でその土地の味を育てている。 良い素材が多いところには、良い味が育つ。 それは魚介類だけに限るものではない。

味覚に精通した小浜の人は、たとえ和菓子であってもその土地ならではの味わいをもったものを好む。 そんな意識が、独特の逸品を育てているといえよう。

そのひとつが夏の和菓子・くずまんじゅうだ。 若狭のくずは「日本三大くず」のひとつに数えられ、くずまんじゅうは、そのくずを使い、豊かな水と自然の素材を生かした小浜の代表的な名物。 良質の水と素朴な材料でつくられるだけに、掘り抜き井戸の水で冷やすと、ひときわ自然の味が引き立っておいしい。 冬の和菓子・でっちようかんも、甘さを抑えた風味が人気の名物だ。 天然の恵み、自然のもてなし。 それは今も昔も変わらない若狭小浜のありのままの姿である。