戦国時代の大永2年(1522)若狭守護武田元光が、小浜市街地の南に蟠(わだかま)る万葉の名山、後瀬山に築城(旧小浜城)し、後、天正元年(1573)入部した丹羽長秀の補強をうけました。慶長6年(1601)に始まる雲浜築城(現小浜城)により廃城となるまで歴代若狭国主の居城でした。
城は山頂(168メートル)に主郭(名称の伝えは皆無)を、館を取巻く各稜線に郭群を配し、巨大な竪堀群と畝(うね)堀、空堀と土橋、稜線の郭群を相互に繋ぐ横道や城道の備えなど、予想戦場に濃密な万全の戦闘配備を施す一方、従たる戦備は山系の連なる先端・湯岡山に及びました。
「かにかくに 人はいうとも若狭路の 後瀬の山の 後も逢わん君」(坂上大嬢 万葉集)とうたわれているように、後瀬山という言葉には「後の逢う瀬」というロマンティックな意味もあるとのことです。